最終更新日 2022/05/24
広島カープのキャンプ地としても知られる
宮崎県南部に位置し歴史と農業漁業の街です。宮崎市内からJR日南線でちょうど1時間、油津駅に到着します。日南市はプロ野球広島カープの春のキャンプ地としても知られ、2018年に駅舎が真っ赤に塗り替えられカープ油津駅と駅名も変わった程です。最後の一塗りを当時の緒方監督が務め全く新しい駅に生まれ変わりました。
神秘的な雰囲気に包まれた鵜戸神宮
赤といえば、日南市鵜戸地区の海岸線にある鵜戸神宮です。創建は崇神天皇の代といわれ、3世紀か4世紀頃と考えられています。日本三大下り宮の一つで、参道の最後の最後が崖のような階段になっていてゆっくりと下りていきます。
本殿はその崖の下、岩穴の中に建てられていて、中に入ると空気もひんやりとして薄暗く、神秘的な雰囲気に包まれています。社殿は鮮やかな朱色に塗られ所々中国風の模様も施されています。現在のものは1968年に改築され、1997年に屋根が葺き替えられ漆や彩色の塗り替えが終わり復元されたものです。
縁結び、夫婦和合、安産、海上安全などの御利益があるとされ国内、海外からも多くの参拝客、観光客が訪れます。社殿の裏に回るとまさに洞窟のようで、その岩の天井からしたたり落ちる水が信仰のよりどころの一つです。
海幸彦、山幸彦が登場する神話によると、海に帰らなくてはならなくなった祭神の母豊玉姫が子供の育児のため両乳房を岩にくっつけてこの地を去ったといわれ、その岩は「おちちいわ」となり今でも絶え間なく玉のような岩清水を滴らせて、人々が安産、育児を祈願します。暗いのでわかりにくいかもしれませんが、足形の上に立ってよく見ると確認できるはずです。
絶対挑戦したい運玉
岩穴を出ると、海に向かって運玉を投げるアトラクションがあります。本殿入り口の運玉販売所で玉5つを購入し、男性は左手で女性は右手で願いを込めながら、眼下に並ぶ奇岩の一つに穴があいていてしめ縄で囲まれている部分に一つずつ投げていきます。この岩を亀石と言い、その枡形に入れば願いが叶うと言われています。
広島カープの元エースでアメリカのドジャースやツインズで活躍している前田健太投手もかつて挑戦しましたが一つも入らなかったというエピソードもある程難しいとされています。鵜戸神宮の神の使いはウサギとされ、参道途中に可愛らしいウサギの像も置かれています。
誇りに満ち溢れた城下町 飫肥
内陸に入って行くと飫肥地区です。ここは伊東家飫肥城を中心とした城下町でした。城跡を含めその名残が残っています。飫肥男という言葉が残るほど、戦国時代はすぐ隣の強大な勢力を誇っていた薩摩島津藩に一度敗れはしましたが、その後大名として復活した後は、狭い領土の小藩にも関わらず飫肥伊東藩は薩摩に屈せず明治維新まで14代にわたってこの地を収めた誇りある城下町です。現在、築城当時のものは石垣だけですが、当時と同じ位置に1978年に復元された大手門が迎えてくれます。
門の20m程手前には豫章館があります。この建物は元の14代藩主の居宅で1868年築、廃城の後城内にあったものを移し飫肥知藩事となった伊東祐帰(すけより)が住んでいました。屋根は元々茅葺でしたが昭和に入り瓦に変わりました。庭は枯山水で後方の愛宕山を借景として作られ、大海を表すとされる広い空間には石や灯篭、庭木などが巧みに配置されて見る人の心を落ち着かせます。奥まで進むと綺麗な竹林と藤棚があり茶室が建てられています。
堂々とした風格の大手門をくぐると、枡形の直角の道を左右に曲がり、階段を上りながら立派な飫肥杉の木立の脇を進むと、大きな1本桜に遭遇します。その裏にやや急な階段がありその上が松尾の丸です。元々ここに何があったかは記録がないため不明です。1979年、樹齢100年以上の飫肥杉を使い、新たに江戸時代初期の身分の高い武家屋敷を想定して全国の資料を参考にし時代考証を経て建てられました。靴を脱いで入ります。通路は狭く天井が低い所もあるので注意が必要です。
玄関には2人分の鎧が展示、江戸時代の男性の体型に合わせてあるので小さく見えます。右は都甲家、左は荒武家に伝わるものでどちらも家来として伊東藩を支えてきた武家です。
- 無双窓: 江戸時代には珍しくスライド式で古民家の雨戸や台所に使われました。戸を開けずに風が入り明かり調節もできます。
- 三の間: 川御座船が置かれています。西日本の大名はこれを大坂と京都伏見の間で使いました。本物の4分の1か5分の1で5.5mの模型です。
- 御座の間: 座布団や肘掛を使って殿様気分の写真が撮れます。撮影可能箇所はここだけです。
- 化粧の間: 壺や茶碗、巻物、昔の本が展示されています。
- トイレ: 外に引き出しがあり典医が毎回殿様の排泄物を健康チェックのため確認していました。
- 蒸し風呂: いわゆるサウナで、宮大工が2ヶ月かけて完成させたと言われ、京都の西本願寺にあるものの複製です。
- 賄い方: 広い台所。正月は昆布、焼きみそ、栗、酒、汁物、貝アワビ、鯛、鴨、ゆず、イセエビなどが食べられていたと思われます。
貴重な資料を収めた飫肥城歴史資料館
もう一つの建物は飫肥城歴史資料館です。戦国から明治までの伊東家の城下町飫肥にはかなり多くの文化財が残されていました。この貴重な文化遺産を保存公開するため1978年に開館しました。現在約220点が展示されています。甲冑、刀剣、武具はもちろん、女性が乗った駕籠、衣服、おもちゃ、生活道具、古文書など幅広い品々が公開されています。
駐車場近くでは武士の時代から伝わる四半的が体験できます。的までの距離が四間半、弓と矢の長さが四尺五寸、的の大きさが四寸五分と全て四半なのが名前の由来です。射る時は畳の上に正座して矢を放ちます。簡単そうでなかなか難しい四半的に挑戦してみてはいかがでしょうか。
飫肥城跡から坂を下ると城下町が広がります。2軒の武家屋敷や商家資料館が公開されている他、カフェ、唐揚げ、団子などの店が並んでいます。飫肥でぜひ味わいたいのが、まず飫肥天です。城下町にも店がありますが、駐車場から飫肥城に向かう角でも売られています。飫肥の郷土料理で魚肉に豆腐を交えて練りゴボウ、ショウガ味などいくつかの種類があります。次に厚焼き玉子です。これは飫肥にしかなく昔ながらの手法で丁寧に焼き上げられる文字通り分厚い卵焼きです。見た目も美しく殿様にも献上されていました。
一本釣り水揚げ日本一 カツオ料理に舌鼓
日南市はカツオの一本釣りの水揚げ量が日本一です。そのカツオを炙って食べる新しいメニュー「カツオの炙り重」など、刺身やタタキ以外の食べ方を楽しめる店が市内に10軒程あるので新鮮な海の幸も楽しめます。