東北、福島の旅 その1

最終更新日 2021/06/18

東京駅から新白河駅へは新幹線で2時間弱。そこでレンタカーを借りて、福島を旅します。駅から那須高原を左手に見て甲子温泉に上り、そこから会津下郷町へ。ここから20分ほど会津街道を北上して、塔のへつりを経て湯野上温泉に目指します。

江戸時代の宿場町の街並みが残る大内宿

塔のへつりは川沿いにある断崖絶壁で、ここには遊歩道があり、なかなかの景色を楽しめます。湯野上には小さな集落で温泉宿がいくつかあるのですが、今回は湯神(ユジン)という宿に泊まります。夕食は部屋出しで、メインは蕎麦料理です。檜枝岐もそうですが、褐色の田舎そばで、腰と風味があり、美味しい。

箸の代わりにネギで蕎麦をいただく

大内宿は江戸時代の宿場町の街並みが残る、有名な観光地です。広い街道が街を真っ直ぐ通り、茅葺の大きな家が道の両側に並ぶ、という風情を残しています。特に北端にある見晴台から見る街並みは素晴らしい。

お昼はまた蕎麦です。ここのお蕎麦はネギそばと言って、暖かいかけ蕎麦の上に太ネギが一本乗っている。そのネギで蕎麦を食べることになっていますが、これが難しい。

次の目的地は会津若松です。湯野上に戻り、会津街道を北にあがるのですが、大内宿入口交差点の先で右折して、岩瀬湯本温泉へ寄り道します。前日の宿で知った事ですが、何やらこの温泉は漫画家・随筆家のつげ善治が滞在していた事で有名だそうです。山間の田舎の雰囲気いっぱいの温泉場で1950年にタイムスリップした感じがします。

会津街道に戻り、会津若松市街の外れにある東山温泉の宿、新滝に着きます。リーズナブルな料金ですが、料理もなかなかで、会津の殿様が愛用された千年の湯という岩風呂があり、地下にもぐっていく感じになりますが、これがとても良かったです。

江戸天保時代から続く鈴善

翌日は会津若松市で街歩きです。会津若松城へは以前行ったことがあるので、今回は会津塗りのお店に行きました。この街には立派な塗り物のお店が多くありますが、その中で江戸天保時代から続く鈴善というお店に行き、蔵と古い建物を改造したギャラリーでずっと時間を過ごしました。塗り物の器は軽くて美しいので僕の好みです。特に会津塗りはゴージャスです。質がとても素晴らしいです。こういう日本の伝統工芸はずっと残って欲しいです。

会津は戊辰戦争で朝廷軍と戦い、敗れました。山に囲まれ、猪苗代湖を持つこの土地は米どころで、車で走っていても大規模な田んぼが目に着きます。朝廷軍と戦うほどの力があったのはこのお米のおかげでしょう。幕末には正式には28万石となっていますが、実質は40万石の財力があったと聞きます。白虎隊の話でも有名です。武士道を大事にしているところです。

会津藩の子供たちの規律 什の掟

後に訪れる喜多方のあるおせんべい屋さんのお店の方と、会津藩の子供たちの規律の話、つまり什の掟(じゅうのおきて)の話になりました。会津では、昔、6~9歳までの藩士の子供たちは、「什」と呼ばれる10人ほどの集まりをつくっていました。毎日、そのうちの年長者がこの掟をメンバーがきちんと守れているか確認をします。掟は全部で8つあります。最後の掟は、「ならぬことはならぬもの」です。掟を破ると罰せられる厳しいものだったそうです。

会津若松ICから高速道に乗り、猪苗代湖を右手に見て東に走り、二本松市から安達太良山に向かいます。安達太良山の山腹にある岳温泉に一泊して、次の日は安達太良山登山です。

スキー場からロープウエイを使い、終点から3時間ぐらいで山頂往復ができます。安達太良山は火山であり、明治時代にも大爆発を起こした山なので、荒々しい岩がゴロゴロしています。山頂から沼尻方面に向かうと硫黄の匂いがする、月面のクレーターのようなところに出ます。ここを歩いてガス中毒になる人もいるようなので注意が必要です。山頂からの眺めは格別です。眼下には二本松市が見えます。

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