最終更新日 2021/06/18
新鮮な魚が楽しめる久礼大正町市場
次の目的地は四万十です。途中、土佐町久礼にある久礼大正町市場という所でカツオのたたきランチ。久礼大正町市場は古い店と、新しい店が混合している面白い所ですが、ここに昔ながらのところてんのお店があり、そこでところてんのデザート。一ぱい100円ですが、これが美味しい。黒潮の宿という公共の宿で一泊、夕食はまたカツオのたたきでした。この宿には海水を温めたお風呂もあります。
ここから四万十町を抜けて土佐清水、そして足摺岬に行くのですが、海沿いの道を走っていると、東北の三陸海岸を走っているような気になります。つまり海岸の後ろは山が多く、川が流れこむ入江に集落がかたまっているような地形です。
土佐清水は思った以上に近代的で大きな漁港です。ここから大型船が出て何ヶ月もカツオを追いかけているのですね。船からの水揚げ風景も見学しました。色々な魚が混じっています。
鰹節を100年以上伝統的手法で作り続ける たけまさ商店
そこから10分ほどで清水中浜という小さな町に着きます。この町のはずれに、たけまさ商店という鰹節を100年以上同じ方法で作っているお店があります。ここで作る鰹節は宗田鰹(メジカ)という種類の魚を使うのですが、ここの作業場は昭和、大正に戻ったようで面白い。作業場には十人ぐらいの人が座って何やら手作業をしています。
作業場の奥には古い大きな炉があり、そこに薪をくべて鰹節を乾燥させます。ここで30分ほど奥様とお話ししましたが、話が面白い。この作業場の裏は岸壁があり、そのむこうはすぐ海になっているのですが、その岸壁の横をお遍路さんが歩いていくのだそうです。
この中浜ですが、ジョン万次郎の生誕地でもあります。彼は14歳の時に炊飯係として漁船に乗っていて、漂流して鳥島にたどり着き、アメリカの捕鯨船に助けられた人ですが、鎖国時であったので、アメリカに連れて行かれ、日本人で初めてアメリカの教育を正式に受けた人です。
のちに日本に戻り後藤象二郎、岩崎弥太郎などに英語を教えたり、通訳として勝海舟と一緒に咸臨丸でアメリカに渡った人でもあります。岩崎、坂本龍馬も然り、土佐には外に目を向けた人が多いですね。というか土佐は周りが深い山で囲まれているため、目の前に広がっている太平洋に気持ちが動くのでしょうね。
足摺岬は名前がそうあるように、断崖絶壁のところかな、と思っていたのですが、それほどの絶壁ではなく、やはり緑の濃いところでした。ここにもお遍路さんのお寺があります。
日本の最後の清流 四万十川
次の目的地は ”日本の最後の清流” 四万十川です。ずっと気になっていたところです。四万十市から、つまり河口からずっと上流方面にドライブしたのですが、清流ということで、小さな川を想像に外れ川幅が広いのに驚きました。周りは山と緑です。他に何にもありません。確かに美しい。面白かったのは道の駅の多いことです。高知は、海、山、川、そして道の駅です。
川沿いに道をずっと上がっていくと津野町に出ます。ここの山奥に四万十川源流と名付けられている渓谷があり、そこに車で行きます。本当に細い山道で、本当にそんな所があるのかと疑いながら運転していくと、四万十川源流という看板がありました。ここからは歩きです。これがまた苔生す美しい森の中にある小さな流れを横に見て、どんどん足で登るのですが、屋久島で森の中を歩いた事を思い出しました。
人生で一番美味しかった山菜の天ぷら
源流ハイキングを終え、車でしばらく走っていくと、昔の公共レクレーションセンターみたいな所があり、ここでお昼を食べます。地元のお母さん、おばあちゃんが、町から運営を任されている施設だそうですが、お昼のことを聞いてみると、うどんしかできないと答えがあります。
5月の連休後でしたが、山菜はありませんかと聞くと。近くでとれた山菜があるから、僕のために天ぷらを作るということで、お昼は天ぷらうどんとなりました。出てきたものを見ると、山菜天ぷらはお皿に山盛りで、別にうどんがついているという感じのもの。これまでに食べた山菜天ぷらの中で一番美味しい。これで800円です。だから旅は面白い。
隈研吾が設計した宿泊施設
その後、檮原という町で宿泊したのですが、ここが山奥の町なのにお洒落な近代的な建物が多いことに気がつきます。話を聞くと、隈研吾さんが設計した宿泊施設、町役場などがあり、僕の感覚からはちょっとずれるけれど、これも面白い。ちなみにこの集落は江戸時代尊王の志士が多く、ここを通って龍馬が脱藩しています。
次の日は国道で山から海へ向けて愛媛県鬼北町に向かいました。高知県と愛媛県の県境を横切るのですが、そこで考えたことは次回は愛媛を旅しようということでした。高知県は広い。とても楽しい旅でした。